「もともと刺し子は、寒い地域でものが少ない時代に、当時貴重やった布をできるだけ長く大切つかうためにしてきた手仕事なんです」


飛騨唯一の専門店「本舗 飛騨さしこ」の南さんの元を訪ねたのは、飛騨高山のお土産としても人気が高い「飛騨さしこ」について話を聞くためだ。


「飛騨さしこ」は、「日常の中の芸術」と謳われる伝統民芸の技。この工芸が生まれた背景には、飛騨の厳しい自然環境がある。伝統の技術が失われる危機に直面しながらも現在まで生き残り、新たな展開も予感させる今日の「飛騨さしこ」。その魅力を伺った。


飛騨高山の観光名所のひとつに、城下町の情景を残す「古い町並」。観光客で賑わう通りから一本外れた宮川沿いの静かな通りに、飛騨で生まれた刺し子の技を今に伝える「本舗 飛騨さしこ」がある。趣のある古民家を改装した店舗で、お店の入り口には大きな藍染の布に刺し子された「ようこそ」の文字が掲げられている。


お店に入ると、ポーチやコースターからのれんまで、美しい刺繍が入った品々が並ぶ。飛騨さしこの特徴でもある様々な幾何学模様が刺繍され、思わず手に取りたくなってしまう。


なぜこのような美しい工芸品が誕生したのだろうか。

▲飛騨さしこ店内には色とりどりの雑貨や日用品が並ぶ。全てさしこが施されている

 

「もともと刺し子は寒い地域でものが少ない時代に、当時貴重やった布をできるだけ長く大切に使うためにしてきた手しごとなんです。山深い飛騨地域はその昔交通が大変不便でした。そのためさまざまなものを自給自足し、着物も糸から織り上げて、それを藍で染めて着ていたそうです。しかし染め抜きや型染めなどの技術は持っていなかったことから、飛騨の女性たちはせめてものオシャレにと、好みの模様や図案を白糸で刺すようになったといわれています。」


飛騨さしこの特徴のひとつは、意匠が強調されていることだ。東北の刺し子は目を詰めて細かく刺すが、飛騨の刺し子は図案が大きく、遠目からでも美しい柄がよく目立つ。この図案の美しさが、シンプルな日用品を美しくするのに一役買っている。


もうひとつの特徴は、表面だけでなく裏面も美しいこと。糸を玉止めせず、返し縫いをすることでほつれないように工夫をすることで実現されている結果だ。そのため裏面も美しくなり、愛用者にはリバーシブルで利用する人も多いという。


▲美しいさしこの幾何学模様

伝統工芸や民芸というとどうしても特別なものとして考えがちではないだろうか。しかし飛騨さしこは、「生活の中で使ってほしい」と南さんは強調する。


「日常で使ってもらえるものを作りたいと私たちも思っているし、もともと刺し子は生活の一部。ふきんなどは食卓で毎日とか、生活の中で若い方にもぜひ使ってもらいたいです。使い出すとかわいいし、キッチンに置いておくだけでいい雰囲気だし、ふきんなんて特に理に適っていてすごく丈夫なんですよ。みなさん『もったいない』って言って全然ふきんとして使ってくれないんですけど、私はもう何年もガシガシと使ってます笑。それで良さを感じてほしいですね。」


飛騨さしこのふきんを暮らしの中で使う。手作りの品に汚れがついてしまっても、それがまた味わいになり、水を吸って馴染むことでさらに使いやすくなったりする。この経験は、日常で使ってこそ生きる「生活の中の芸術」としてのあり方だといえる。


このような飛騨さしこが提供する価値は、身のまわりのものを見直すきっかけにもなっていきそうだ。使い捨てはよくないとか、プラスチック製品が環境に与える影響などが知られるようになる中で、生活の中でむしろ使い捨てできる消費物と、長くつかうお気に入りのものを分けるようになってはいないだろうか。そんな暮らしの中に、「使い続けることで変化し続ける価値」をおくことで、どのようなものと共に生きていくのかを問うことになるはずだ。


▲ひと針ひと針手で縫い付ける

実は飛騨さしこの技術は、かつて失われてしまう危機にあった。飛騨では誰しもがやっていた手仕事でありながら、交通の便が整いはじめ商流が動き始めると、量産されたものが流通するようになっていった。


「伝統技術が失われるのがもったいない」「飛騨の刺し子の技術をみんなにも伝えたい」という想いから誕生したのが、「本舗 飛騨さしこ」なのだ。


「もう50年も前になりますが、思いを同じくした女性4人で立ち上げたのが始まりです。その社長ももうすぐ93歳になります。」


この思いがかたちとなった代表的な商品がある。刺し子キットと刺し子糸だ。飛騨さしこの図案はとてもシンプルかつ美しくリデザインされていて、初心者が取り組みやすいことを活かし、コースターやふきんなどの初級から、テーブルセンターやのれんなどといった上級まで幅広く揃ったキットとなっている。また刺し子糸は、製糸会社と提携し「刺し子としての使いやすさと美しさにこだわった特注の糸」として商品化。糸の色も単色/40色、段染めと呼ばれるグラデーション/6色と豊富で、色を選ぶ楽しみも広がる。


▲美しい飛騨さしこの糸

 

「うちの糸を使ってもらうと、「他の糸はもう使えない」とよく言っていただいてますね」


と南さんは笑う。素材は木綿で、細い糸を六本合わせて撚ることで普通より太めにし、ふっくらしていて素朴な感じが出るのが特徴。糸の滑りが良いので刺しやすく、柄がキレイに仕上がったり、刺繍糸と違い光沢がないので、木綿の布に木綿同士でよく馴染むようにできている。


飛騨さしこの技術はいま、新しいコラボレーションを迎えようとしている。きっかけとなったのは、高山駅南交差点の一角に、2年ほど前にできた「東急ステイ飛騨高山 結びの湯」。5階に飛騨さしこのギャラリースペースがあり、そこには8人ほどが座れるベンチが展示されている。全面が真っ青な藍染の布に、白い木綿糸でさまざまな文様が刺し子された大きなベンチだ。


ふきんなど、日常の小さいものを専門としてきた飛騨さしこにとっても挑戦だったこの大きなプロダクトが絶賛され、更に市内にある日進木工という老舗家具メーカーの協働で刺し子のスツールも出来上がった。




「ベンチはかなり素敵に仕上げてもらって感激でしたね。今までになかった大きさのものをやらせてもらえて色んな可能性や幅が増えました。今回のスツールもイスの座面だと糸がひっかかったり切れたりする不安もあったけど、でもまあそれも含めて刺し子の良さであり、そうなった時に直し方を考えたりとか。」


と南さん。飛騨刺し子は、一度は大量生産品の前に消えかけた技術だ。しかし今、伝統を飛騨高山の産業として引き継ぐだけでなく、誰しもが体験できる文化として発信すると共に、新たなチャレンジも行われようとしている。伝統文化が、新しい文化価値をつくっている現場がここにある。



2022年11月15日