フランス伝承技法で作る至極のシャルキュトリー|キュルノンチュエ
「創業者である山岡は、フランスのモルトオという燻製品で名高い街で、3年間シャルキュトリーづくりの修行をしました。モルトオはスイスとの国境沿いにある、ジュラ山脈に囲まれた自然豊かな小さな街だったそうです。帰国後、モルトオのような風土、景観があり、緑に浄化された澄んだ空気、美味しい水がある場所こそが、工房開設の最高の環境であるとして、立地の選定を重ね、その中で出会ったのが飛騨清見でした。」
かつて清見村と呼ばれていた高山市清見町は、自然豊かな飛騨地方の中でもより一層深い森が広がり、澄んだ空気と清流に恵まれている。高山市から車を走らせること20分。田んぼの中を進むと、一風変わった建物が立っていた。
▲自然に囲まれたキュルノンチュエ
今から25年前、今は亡き創業者・山岡準治さんは、この地に「キュルノンチュエ」を開業した。
フランス語で加工肉を指す「シャルキュトリー」。この言葉が日本に全く浸透していなかった当時、フランス二千年来の伝統技法のシャルキュトリー作りと、ジュラ地方の建築技法そのままの設計で工房を作った。燻製のための燻煙室、煙の通り道である煙導(フランス語でチュエという)があることが特徴的である。
「彼は元々外車のディーラーマンで、バリバリ車を売っている人だったんですよ。ディーラーをやめ60歳でフランスに飛び、3年間修行して日本に帰ってきたというちょっと変わった経歴を持つ方だったんですよ。」
と、笑いながら語るのは山岡さんとキュルノンチュエの歴史の半分を共にしたシャルキュトリー職人の吉川純さん。
▲工場長でありシャルキュトリー職人の吉川純さん
「シャルキュトリーを学ぶきっかけは『人が笑ってくれることがしたい』→『人って美味しいもの食べている時が幸せだよね』→『俺(山岡さん)は肉が好き』という、理由からだったそうです。」
「美味しいものを作るには『材料7分に、腕3分』として、山岡は材料にこだわっていました。鹿児島の黒豚と、ゲランドの塩を使った自社ブレンドの塩、美味しい水。そして伝統技法。開業から変わらず、大切にしています。」
中でも、上質な水はシャルキュトリーにとって重要なのだという。
「この飛騨清見には縄文杉が眠っているそうなんです。長い年月をかけて水が濾過されることで、とても美味しい水が湧いてくるんですよ。ソーセージにも水を入れて作りますし、生ハムなどは塩抜きの時には水に長時間浸けておきます。そのほかにもたくさんの工程で水を使います。この仕事において上質な水に恵まれていることは本当に重要なことなんですよ。」
▲熟成ベーコンを仕込む様子
山岡さんが考えた「キュルノンチュエ」という名前には、フランスの地方料理と観光資源を世界に知らしめた功績を持つ文人食通キュルノンスキーに敬意を表し、地方独特の燻製設備の煙導(チュエ)と同音の動詞(降参させる)をかけて、「美味しいもので貴方を参らせて何故いけないの?」という意味があるという。
「洒落が効いてますよね。」と、吉川さんは山岡さんの人となりを語ってくれた。
「全てにおいてフランス流を貫いて、曲げない人でした。はじめ、シャルキュトリーが全く受け入れられなかった時も、頑なにレシピを変えることはありませんでした。開業当時から今まで、フランス二千年来の伝統技法を大切にしてきています。」
▲こだわりの鹿児島県産黒豚を使っている
「彼は見せ方にもすごくこだわりました。この建物も煙導(チュエ)を中心に設計し、ジュラ地方の慣わしに習い、燻煙室を大きく設けてあります。工房の立地から作り方までフランスをそのまま持ってきたかったんですよね。外車のディーラーマンだった方なので、オシャレで、かっこよく、商売する人でした。」
商売への考え方の違いから、私生活のことまで、意見がぶつかることもよくあった。またお酒の席では口論になったこともあるという。吉川さんは、どこか懐かしそうに語ってくれた。
そんな山岡さんのこだわりの結晶であるキュルノンチュエの白カビソーセージ、最初はなかなか売れない時期が続いたという。
▲白カビソーセージを乾燥させる様子
「まず、白カビを食べるという感覚がその当時にはなかった。あとは、とにかく塩辛いと不評だったそうです。日本人っていうのは、塩っ辛いものはご飯と一緒に食べるんですよね。でも、これはご飯と合わないし。そのまま食べるには塩っ辛い。かといって、山岡は日本人にウケる味にレシピを変えようとはしない人だったんです。とにかくブレない人でしたね。」
シャルキュトリーの塩辛さにはもちろん正当な理由がある。
「伝統のソーセージというのは保存料を使いません。一般的な保存料を使っているソーセージと違って、塩をたくさん使っているから保たせることができるんです。だから塩辛いのは当たり前で、これが美味しい。シャルキュトリーは子供が食べるものではなくて、大人が食べるものなんです。お酒と一緒に。」
白カビソーセージは、豚肉とスパイスを混ぜたものを腸詰し、周りに白カビをつけて、そのまま乾燥、熟成させる。白カビをつけることで周りの雑菌を寄せ付けず、徐々に水分が抜けていく。そうすることでジューシーな食感に仕上がるそうだ。約3週間ほど乾燥させ、完成。白カビの風味と粒胡椒のピリッとしたアクセントが特徴的だ。
「個人的には3mmくらいに切って食べるのをおすすめです。豚肉の食感と、脂身をしっかりと感じられますよ。」
白カビソーセージは、味が濃いため、しっかりとボディのある赤ワインに合わせるのが一般的。と、前置きした上で
「僕は日本酒と合わせるのが好きですけどね。」と、吉川さん。
「正直なんでも合いますよ。飛騨には美味しいお酒がたくさんありますから。みなさんの舌で確かめながら、楽しんでいただければ。」
▲乾燥させる様子
最後に、キュルノンチュエのこれからの展望について話して頂いた。
「うちには、将来独立したい職人さんなんかがよく研修に来てくれるんです。その時は基本的に作り方を全て、包み隠さず教えます。ライバルに成りうるのになぜそんなことをするのかっていうと、日本におけるシャルキュトリーの地位の底上げをしたいからなんですよ。街のパン屋さんってここ数年でたくさん増えたけど、街のソーセージ屋なんて日本には未だに少なくて。25年やっているけどシャルキュトリーって言葉ですら浸透していないんですよね。だから、日本中にそういった店が増えていって、シャルキュトリーが食文化として広まってくれたら嬉しいです。」
「ソーセージ屋の絶対数が増え、お互い切磋琢磨することで、うちで買ったものじゃなくても、皆さんが美味しいシャルキュトリーを食べて笑ってくれれば、それでよしなんですよ。山岡の『人が笑ってくれることがしたい』という当初の思いと一緒なんです。」
吉川さんは元々アウトドアが好きで、アウトドアのアクティビティなどを教える仕事をしていた。ソーセージを作るワークショップの勉強のため『1年で辞める』と言って、キュルノンチュエに入社。それが今まで続いて12年。キュルノンチュエの歴史の半分を、山岡さんと一緒に作ってきた。
この仕事を辞めなかった理由は?と聞くと「この仕事、本当に面白いんですよ。ただそれだけです。」と答えてくれた。亡き山岡さんのことを語る皮肉混じりの吉川さんの口調には、彼をよく知るからこその滲み出るような優しさが感じられた。
▲熟成庫にて
60歳から渡仏し、シャルキュトリー作りに情熱を燃やし続けた山岡さん。キュルノンチュエを引退したあとは、さらに語学を学び、オリーブ畑を作ろうと挑戦していたという。
生涯挑戦し、情熱を持ち続けるその姿勢。細部までにこだわり、ブレない考え方。それは、吉川さんをはじめ、いまのキュルノンチュエに確実に引き継がれている。
山岡さんを振り返り「飽きない人でしたね」とボソっと言った一言に、吉川さんなりの尊敬の念が込められていたように感じられた。
2人の関係性は、師弟関係であると同時に、ライバルであり、同志であり、お互いに尊敬し合えるものだったのだろう。キュルノンチュエで生まれるシャルキュトリーからは、2人の情熱が感じとれるからこそ、1度食べただけでファンになってしまう人が多いのかもしれない。
もしチャンスがあるならば、ぜひキュルノンチュエに足を運び、こだわり抜いた圧巻のフランス流を肌で感じて頂きたい。