土地の記憶を種がつむぐ。飛騨の風土を凝縮した野菜を作りつづける|野村農園
高山市国府町にて江戸時代から農業を続ける野村農園。12代目になる野村正さんと美也子さんご夫婦と数人の従業員でこの農園を営んでいる。
「好きに見てってください」と、正さんが優しい笑顔で迎えてくださった。

畑を見回すと、一般的な畑と違い、雑草や野草が色々な所に生えていたり、様々な野菜が所狭しと植えられていたり、一見、整理されてない草原のように見受けられた。ここでは年間200種類ほどの野菜を育てている。それには飛騨の伝統野菜をはじめ、イタリアやフランスなどの西洋野菜も含まれている。
「私たちの野菜づくりは、除草剤を使わないので、雑草が生えてきたり、お花が咲いたり、自生する植物たちがたくさんいます。更に、その環境に集まってくる、カエルや鳥、土の中にいるミミズなどの虫や、微生物たち。様々な生命体の力を借りて、それぞれが環境づくりに欠かせないポジションを担っています。カエルの捕食力はすごいですよ。たくさんの害虫を食べてくれて、助かってます。」

一足畑に足を踏み入れると何匹ものカエルが一斉に飛び跳ねたり、蝶が飛び回っていたり。まさに食物連鎖のピラミッドの一部を切り取っているような環境がそこにはあった。
今回お話を聞かせてくれたのは妻の美也子さん。出荷作業に忙しく手を動かしながら、野菜作りについての想いを語ってくれた。
「私は元々、地元(金沢)で仕事の傍ら、環境保全活動に参加していたんです。小さな頃から、環境問題に興味があって。農業についても勉強をしていました。その頃から、この先の農業は環境保全型の農業をやるべきだと確信していました。環境保全型の農業というのは、簡単には語ることはできませんが、自然環境に一番近い形で野菜づくりをすることだと思っています。」
野村農園では無数の野草や雑草、木の根っこ、野菜の破片をただ取り除くのではなく、取り除いたそれらをもう一度土の中に入れ込む。様々な有機物が入り込んだ土はふわふわとやわらかく、バランスがよい土が出来上がるそうだ。できるだけ自然に近い形の、良質な土づくりが野村農園の基本となっている。
そんな美也子さんは大前提として「美味しい野菜であること」を大切にしている。
「除草剤などを使わない土、良質な有機肥料で育てられた野菜は、とても生命力に溢れていて美味しいんです。野菜本来が持つ色と、味わいがあります。更に調理した時の火の通りが良いんですよ。私は見た目がどれも同じ大きさで、傷のない野菜であることが美しいことだとは思わないんです。見た目が曲がっていても、小さくても、野菜本来の美味しさがある。それが美しさだと思うんです。美しい野菜は、とても美味しいんです。」
そんな美也子さんが野村農園に嫁いだ約25年前に、野村農園では農薬を使わない野菜づくりをスタートさせた。
それまで代々、農薬や化学肥料を使いながら安定的な野菜づくりを行っていた野村農園で、それらを使わず野菜を育てるということは、簡単なことではなかった。ただ、やめればいいというわけではない。まず、家族の理解を得ていくことが必須であり、更に今までやったことのない栽培方法に取り組まなければいけなかった。
美也子さんは何度も何度も正さんと話し合い、試行錯誤しながら野菜づくりに取り組んだ。正さんもはじめは理解に苦しんだというが、やっていくうちに野菜の本当の美味しさに対する概念が変わっていったそうだ。
野村農園ではそれまでも育てた野菜から種をとり、それを次の年に植える「自家採種」を行っていた。
種はいわば野菜のDNAだ。その土地の風土や栽培方法を種の中に記憶し、それに適応する形で実(野菜)をつけ、また種を残す。その作業を繰り返し、種を毎年、紡いできていた。

「本当に苦労しましたよ。農薬を使わなくなった途端、野菜が全く、大きくならなかったんですよ。」
それまでの野村農園の栽培方法でDNAを形成してきた種にとって、農薬や化学肥料は必須であり、それがなければ上手く育つことができない種になっていたのである。その種を使い、新しい栽培方法にトライしたものの、野菜がうまく育たないのは当然だった。
野菜は、1年に何度も採れるものではないし、うまく育たなかったといえど修正が効くものではない。何がいけなかったのか?どうするべきか?を考え、次の年の栽培に課題を持ち越すしかなかった。
農薬を使わない野菜づくりをはじめて、試行錯誤の数年がすぎ、年によっては、追肥をして野菜を大きくする手段を選んだ。そうやって学びながら実践をし、だんだんと野菜のサイズが大きくなっていった。種がこの土地の風土や、野村さんたちの新しい野菜づくりを記憶していったからだ。
「農薬や、化学肥料を使わない野菜づくりを開始して10年たった2016年ごろから、ある程度の大きさの作物ができるようになっていきました。長い時間をかけて種が記憶を蓄積していって、やっと今に至ります。野菜たちにとって大切なのは人間に食べられることではないということを知りました。彼らは種を残して、自分たちが生き残ることを目的にしていますから。人間に収穫してもらって、種を残す。じゃあ人間に収穫してもらうにはどうすればいいんだろう?って、人間たちに合わせてきちんと学習するんですね。」
美也子さんは野菜の生命力や、そういった神秘的な力に魅了されているとおっしゃった。また、美也子さんは大変興味深い話を教えてくれた。
「もちとうもろこしという、古い品種のとうもろこしがあるんですが、ある年、大雨に見舞われて、もちとうもろこしの畑が水に(浸かってしまったことがあったんです。私たちは1週間ほどかけて、順番に熟していくんだろうなと出荷予想をしていたんですが、もちとうもろこし達は、大雨によって自分達の生命に危機を感じたんでしょうね。『今すぐ子孫を残さないと』と、1日で全ての実が熟してしまったのです。賢いなと思いましたよ。関心しました。同時に、生きているんだなと、感じました。それで、私たちは全てのとうもろこしを1日で収穫して、きちんと彼らの種を残しました。家中とうもろこしだらけになって本当に大変でしたよ。」
自然相手の野菜づくりは天候に左右される。近年の予想外の天候に頭を悩まされることも多いという。しかし、自家採種を続ける野村さんたちの種は、そういった経験さえも記憶して上書きしていくという。
「温暖化などによって10年前とは全く違う天候、環境の中で、私たちの種はそういった変化をしっかりと記憶し、それに合わせて、順応し、パワーを発揮してくれるんです。」
最後に美也子さんは、昨今の農薬や化学肥料や輸送費コストの高騰により野菜の価格も高騰していることにこう警鐘を鳴らす。
「生産者は崖っぷちだと思うんです。一般的に野菜は安ければ安いほどいいと思われていますからね。美味しい野菜は本来、安く作れるはずなんてないんですよ。更に生産者の年齢も上がっていて体力的にも負担がかかり、割に合わなくなって、農業をやめていく。そうやって生産者が減って、日本で作物が取れなくなっていく。スーパーで今まで通り野菜が買えなくなる日も遠くないと思っているんです。そうならないためにも、農薬や化学肥料に頼らない農業にシフトして、それに合った野菜の価値がきちんとつけられて、それを消費者が選んで行かなければいけないと思っています。だから、消費者も愛を持って、生産者と一緒になって日本の農業について考えていく必要がありますよね。」
美也子さんはあくまで、農薬や化学肥料を使わないことを目的としているわけではない。はじめに言った通り「美味しいこと」が大前提で、お客様に喜んでもらいたいという気持ちが根源にある。農薬や化学肥料を使わず、自然の力で生き抜いてきた種から育つ野菜たちはパワフルだ。本来の味わいがある。
野菜は食べられるために生きているわけではなく、種を残すために生きているということ。それは決して人がコントロールできるものではない。野村さんたちの野菜づくりは、野菜(種)と自然環境と、人とが力を合わせてひとつのものを作りあげているように感じた。種を紡ぐことで、種が毎年記憶を上書きし、この土地だからこそのDNAが残されていく。野菜は飛騨の風土をぎゅっと凝縮した味わいになる。

私たち消費者はただ消して費やすだけの立場ではない。美味しいという感覚を忘れず、それを追及し、選ぶことができる。野菜本来の味わいとはどういったものかを知る機会を失わずにいたい。そのために、何ができるかを野村さんは野菜を通じて表現しているように感じた。
ぜひ一度、飛騨の自然の一部を切り取ってできた野菜を味わっていただきたいと思う。